ER in San Francisco


12月14日から18日までアメリカ・サンフランシスコで開かれる
The American Society for Cell Biologyに参加するために米国遠征しました。
出発直前に、航空機会社のUAは倒産するし
出発当日の朝、台所の蛍光灯が切れてしまうし、なんとなくいやぁな予感がしてました。
出発のチェックインカウンターでは、マイレージのアップグレードが予約できてなくて
ひともんちゃく あり、到着日・13日のサンフランシスコは8年近く住んでいた間には
経験したこともない 大嵐でした。
いやぁな予感は、ますます増大していきます。

そんな中、15日の夜中2時半頃ホテルの非常サイレンが鳴り響きました。
私たちはこういうことよくあります。 いつもは、夕方だったり午前中だったりで緊張感もなく
そのままパスポートなどの貴重品をもって、避難していました。
今回13階でかなり長い間なり響いていたし 消防車・パトカーなどのサイレンも聞こえるし
なにしろ、なんでもありのご時世だから ドアを開けて外の様子をみていたら
みなさんお召し替えになられて 非常階段をおりてました。
私たちもとりあえず、貴重品だけ持って、外に出ることにしました。
みなさん決してパニックになることもなくとても静かで、時々笑い声まで聞こえてきます。
NYテロの時も、最初はこんなかんじだったのかなぁ。なんて思いながら非常階段をおりました。


ちょうどホテルの裏側におりたのですが、外は嵐。
さすがに13階まで傘をとりに帰る気にはなれなかったので、 お隣のホテルの軒下で
雨風をしのいでました。 消防士さんがタンクをしょってホテルにはいっていくし
サイレンの音はどんどん派手になっていきました。
それでもお隣のホテルの従業員さん達には、笑顔が見られます。
こんな事、日常茶飯事起こってるのかしら。

結局、悪天候でなにかが誤作動したということで、何事も起こらず部屋にもどるよう指示されました。
下のロビーに降りてきた人は少なかったのですが、 みんなあのけたたましいサイレンの中、
ねてたんだろうかしらと思っていたら、これには後日談があって
このホテルにはミーティングに参加している人もたくさん宿泊しているのですが
彼らによると13F以外ではサイレンはならなかったそうです。 そういえば非常階段を下りるときに
他の階から参加してくる人はいませんでした。 降りながら変だなぁって思っていたのと
帰りのエレベーターが満杯だったにもかかわらず、 全員が13Fで降りました。
どうやら 13Fの宿泊客が真夜中の避難訓練に選ばれたようです。  

お天気は回復しないまま最終日、荷物を持ってホテルの部屋から外の廊下にでたら
先に出ていたますだ氏が、スーツケースに囲まれて 廊下にねっころがっていました。
とうとう一番 恐れていたことが起こっちゃいました。ぎっくり腰です。
ベルボーイさんの助けを借りて、なんとか空港までこぎつけ チェックインをすませ
UAのアドバイスで車椅子で搭乗し、 出発を待っていました。

雨で出発が遅れているのを滑走路で待っている間に ますだ氏の顔色が青ざめ、大汗をかいていました。
額も手も冷たくなって、意識が薄れてめまいがするというので スチュワーデスさんにそのことを告げ
飛行機を降りることにしました。 滑走路から搭乗ゲートまで飛行機ごと逆戻りです。
恐縮して小さくなってる私に、スチュワーデスさんがかわるがわるやってきて、飛び立つ前でよかった
あなたの判断がすばらしかったと、賞賛の嵐です。
アメリカ人はどういう状況でも、必ずほめて励ましてくれます。

搭乗ゲートにもどって、降ろしてくれればそれですむかと思っていたら
搭乗ゲートから雨に濡れた巨大な救急隊員さんが3人とお医者さんと お巡りさんが
救急医療機器をもって乗りこんできました。
症状や身分やいろんなことを 次から次に聞かれて
救急車で嵐の中を救急病院まで移送されました。救急車では私は前の座席に座らされたのですが
後ろで血圧や脈拍や症状など聞かれているのが聞こえました。
やりとりはTVで見ていたドラマ「ER」そのまんまです。
もちろん私の頭の中ではERのテーマ曲が流れてます。外は嵐。

救急車は最初はサイレンを鳴らしていたのですが、 彼がおちついた状況であると判断されたら
サイレンは止まりました。 病院に到着したら、酸素チューブをつけたますだ氏が寝ている ベッドが
そのまま降りてきて ストレッチャー になり、病室に運ばれて行きました。
今から思うと、この場面が最大の見せ場・ハイライトでしたが、
さすがに写真撮影のお願いはできませんでした。
J・フォンダさんのお若い頃のようなお美しいお医者さまの判断で処置をうけ
ますだ氏も「今のお医者さん?映画みたいやね」って余裕がでてきました。
写真の巨大な、らっこ服のおねぇさんは看護婦さんです。 イヤリングはサンタさんでした。
その前にお世話してくださったほぼ同じサイズの看護婦さんは
雪だるまにツリーの模様 をお召しになられてました。
お二人がお揃いで病室に入って来られたときには、 さすがに圧倒されました。

その後、応急処置をうけ命にかかわる問題ではないと判断されたので
「帰っていいよ」と入院することもなく、救急病院を追い出されました。
帰っていいと言われても、ここはどこ?どこに帰るの?
ホテルはすでに引き払ってるし荷物や今後のこともあるので
とりあえず空港のUAに行って今後のことを、相談しました。
「あぁ、今日引き返してきた便の人ね」とすっかりブラックリストに載ってしまった私たちの
今後の宿泊先や、帰国の便の手配や迅速で的確な サービスのおかげで3日後の便で帰国しました。


今回の経験で思ったことは、とにかく助けを必要としている人を目の前にしたときに
対応する人の責任と判断で、迅速で的確な行動をとるプロ意識の高さでした。
空港内をよろよろ歩いている私たちに「それでは搭乗ゲートまでは、歩けないから車椅子を借りなさい」
「どうやって借りるのですか?」「航空機会社のカウンターでリクエストすれば手続きしてくれます」
UAのカウンターで車椅子について聞いたら、セキュリティチェックの入り口にいるますだ氏を見て
「そこまで行っているのなら、ラウンジがすぐあるので、そこに車椅子を手配するからそこで待ちなさい」
ラウンジで待っていると、アナウンスで呼び出されました。
カウンターに行くと、私に電話がかかっていて
「車椅子のリクエストがでてるけど あなた達の座席は2階席です。
階段を上れるのか?階段の下の出入り口に近い席に変更することができるけれど」
下の席に変更してもらうことをお願いしたら、カウンターの人と電話をかわって事情を説明してくれて
その場ですぐ、変更の手続きをとってくれました。本当に驚きました。
チェックインをしたカウンターと車椅子をリクエストしたカウンターは別の場所でしたし
その間ほんの10分ぐらいのできごとでした。
写真で車椅子を押して下さっている女性の息子さんは、歩けないのだそうです。

チェックインした荷物に関しても、機内で「荷物はここで降ろすから」とは言われたのですが
まさか、そんなことができるなんて思ってもいなかったので、てっきり関空に行ってしまったものだと
思ってました。念のために、後日問い合わせてみたら「荷物はここにある。受け取りもできるし
帰国便がきまれば、そこに運び込むこともできるがどうするか?」と聞かれて
とりあえず、あることが確認できればそれでよかったので、帰国便に乗せてもらうことにしました。
手続きはとったものの、まさかそんなことができるなんて思っていませんでした。


関空で荷物はやはり、最後まででてきませんでした。
事情が事情だったので、荷物が未着の手続きをとるため、そばにいたUAの方に声をかけました。
名前を告げると「こちらにあらかじめ保管してあります」「???」
「車椅子で出てこられるということだったので、こちらで先に保管しておきました」ということでした。
細かいお心使いは、感謝なのですが、それならそれとアナウンスするなり
メッセージボードを回すなりして、私たちに伝えてくれないと最後まで待たされる事になってしまいます。
車椅子の利用はすでにキャンセルしていたので、利用者がいないことに気がついてほしかったです。
なにはともあれ、ひさしぶりに荷物とも再会できてなによりでした。

飛行機内で応急処置をする、救急隊員さんの行動を至近距離で見ることができた
右半分に座られていたお客さんは、さぞかし感動されていたことだと思います。
私自身、映画でも見ているような感覚でしたから。
空港関係者・フライトクルー・救急隊員のみなさんは
プロだから当たり前といえばそれまでですが、ツエをついてよろよろ歩いていると
顔中 ピアスのパッパラパァ〜のにぃちゃんが、ますだ氏が降りるまでずっとバスのドアを押さえてくれたり
ホテルのドアを開けて待っててくれたり、多くの人達の優しさに触れることができました。
薬局にお薬を取りに行くために、ホテルにタクシーの手配をお願いしたら
やってきたタクシーは ぼろぼろで 運チャンも巨大なにぃちゃんで、夜だったし万が一の時は
「私はHIVポジティブだからねっ!」 と脅す覚悟で乗り込みました。
結局お薬がでるまで待っててくれる、心優しいおにぃちゃんでした。
外見で疑ったりして、ごめんなさいでした。

帰国の便は、今度は機体整備のため滑走路から搭乗ゲートまで逆戻りなんていうおまけまでついて
私たちは、すっかり疫病神になってしまいました。搭乗ゲートから乗り込んできたのは
救急隊員ではなくて 整備士さんでした。
今後UAに乗せてもらえるかどうか、とっても不安です。


この後、強いお薬の副作用でますだ氏は、やくぶつ中毒というかアル中というか 夢遊病者状態で
それを理解できない私がぷっつん切れちゃって 東京に家出してしまうなんていう
楽しい事をやってしまいました。
ますださんの奥さんの友達は楽しいでぇ! を実践してしまって
みなさんに大いに楽しんでいただいてしまったようです。
その後、私がぷち・ぷち・ぷちとじょじょに切れていった過程を 冷静に話していったのですが
救急 病院から追い出された以降の出来事を 本当になぁんにも覚えていません 。
開封されてないCDを見て「なにこれ?」自分が買ったことも どこで買ったかも
その店に行った過程もなにも 覚えていませんでした 。
そのお薬はまだ残ってますけれど、なにもかも忘れてしまいたいときに、いいかもしれません。

その後UAに、感謝とお詫びのメールをだしたところ 、その時のフライトクルーに転送しておきますの
お返事が着ました。 ちょっとホットしてます。
ご本人はボクのおかげで、大事故に遭遇するかもしれなかった危機を 逃れたのかもしれないって自信満々です。
先日アメリカのFBIのドラマで、ERに運ばれるシーンがあって、なんだかどきどきしてしまいました。